これは近年にない、面白しろさだった。これからの建築を感じさせるものだと思う。
20世紀を席巻した近代建築は、自由で安易なコンクリート建築を生み出してしまった。それは、石やアルミ等々の仕上げ材を張った=張りぼて建築であり、安易な表層を許してしまうものだ。そしてまた景観なるものも単なる「表層」のことであった。もっと「存在」に届く「自然な建築」とは、場所と人とを繋ぐ「関係」のことであることが、自作事例をもって説明されていく。
住宅「水鏡」の隣の住宅が、タウトの日向邸であり、これを体験する。この建築が海と人と直接に繋いで行く「関係の建築」であることが語られる。(日向邸評価をここまで明快に取り出し得た者はなかった。)タウトの「関係の建築」は写真には写らない物で、コルやミースの写真写りの良い建築は、タウトにとってすでにフォルマリスム(形態主義)として忌避されていた。隈の自己体験からも丁寧に語れていて、なかなかおも白い。
石の美術館では、重厚な石の存在感に対し、透けて向こうが見えるルーバーにもかかわらず、それが石によって出来てしまった、マッスに対しグラディーションと言う概念を見つける。
モダニズム建築の切断や対比という至上命令に対し、みんなが切断という手法を試みたら一体環境はどうなってしまうのか。環境はずたずたに引き裂かれてしまった。それを修復するためのひとつの助けに、石の格子は、そんな大きな目的へと繋がっているかも、と。
広重美術館では、西欧の建築のように自然との対比を目指すのではなく、あの広重の川面と夕立と橋のように、自然と人工物とが境がなく、グラデーショナルに繋がって行く状態が取り返せないだろうか。もし裏山の杉を使って、杉林のような建築を作ることができたら、と言っています。
敷地は里山の裾であった。その中腹にこぢんまりとした神社があって、町から神社に向かう参道のような建築にしたかったと。日本では神聖なものは神社ではなく、山自体が神聖なモニュメントであって、その山を引き立てるために、神社という媒介を建てたのであると。そのやり方で、広重美術館も媒介としてデザインしようとしたと。それは山へと向かう鳥居のような通り抜けるものとして目立たないものにしたかったと。
西洋の透視図法は、手法自体がシンボリックでモニュメンタルな建築物を要請しているという。それに対し、広重に表される奥行きの表現は、透視図法ではない独特の物で、それは日本流の空間の奥行き表現であると。これがシカゴ万博の日本館=平等院鳳凰堂とともにライトに決定的に影響し、ミース、コルへと伝わり、日本に帰ってきたという。ずいぶんと殺伐とした形になって。
とまー大きな構図を出してきていてとても面白いものです。。
言葉もわかりやすいと思いますし、建築の現在が解ります。楽しくなります。
100629 mirutake